新居昭乃さん作詞の『時の歌』目当てで(苦笑)ゲド戦機を見ちまった。
原作者たるアーシュラ・K・ル=グィンを激怒させてしまった原作(自主規制)だが、見ようによっては正解だったと思えるのは、『ナルニア国物語』『ライラの冒険』などの、最近のファンタジー大作映画の見事な大コケぶりの後だから言えるコトだろうか(苦笑)。
父王殺しの逃亡者・アレンと永遠の生命の探索者・ハイタカの物語……に収束させておけば問題無かったんだよ(笑)。
つか、宮崎駿と悟郎カントクの、親子の葛藤こそ主題ではなかったのか? まあ、この辺は松本人志の『大日本人』同様、個人の事情を含めたパーソナリティを理解したうえで見て「あげる」コトが必要ではないかと思う。
つうコトで、今回はネタバレ警告無しでいこう。
基本的なプロットは問題無いとおもう。特に、現代の日本に当てはめるのなら、このアレンを取り巻く世界の構図は間違っていないのだ。世界は調和を失い、魔術は力を失い、大地は生命を養う力を失い、薬物に溺れた人々は生きる気力すら失いつつある世界。そんな中に、王宮と言う安楽の場所を飛び出したアレンに、もっと世界の現実を教える努力をするべきだったハイタカ(苦笑)。
日本で言うなら魔術を現代宗教に置き換えると、なおわかりやすくなるか(苦笑)。そう、現実に助けてもらっているのに、魔女のテナを忌み嫌うババァ2人組みのように。そして、悪の魔女クモの存在は、そんな人々を惑わすカルト教祖としか映らないのだ。
クモとハイタカの背景関係を知らない多くの人々に、これは不親切としか言いようがないではないか?
それだけに、生命の永遠性を感じ取れなかったのは、谷山浩子さまの力不足だったのか?_
結局……これらのプロットを膨らませるだけの力量が、脚本と演出に無かったのは明らかだわさ。竜もオーラスに出せば良くって、ラスト手前に出す必要は無いしね。
あ、ラストの演出も宮崎駿との力量の差がはっきりと現れている。ウチだったら、テルーにクモの腕を噛み千切らせるコトぐらいするぞ(笑)。
CGを多用した演出も、肝心なトコで生きていないのが残念。森の中を駆け抜けて城へと向かうシーンなら、なぜ上下動まで再現しないのだ?
声の演技については、岡田准一と菅原文太だけは文句無し(苦笑)。他の皆さんは、演技もだけど、まずは音圧の使い方が全然なっていません。横沢啓子や初井言榮、そして榊原良子や高山みなみや戸田恵子がど~して凄かったのかを、『ラピュタ』と『ナウシカ』と『魔女の宅急便』みて研究して欲しいアルよ。
『新人』なんて免罪符、わざわざテロップに出すのも許せませんし。
あ、『テルーの唄』と『時の歌』だけが、ホントの意味で『救い』だったのかもしれません。
評価については、
・作品性
_
・ストーリー性
_
・メッセージ性
☆
・製作陣
_
・俳優陣
☆
以上で2点。2006年文春きいちご賞も妙にナットクです(苦笑)。
やっぱし、素直に『シュナの旅』でつくるべき作品ですわ。あ、N●K-FMでやったラジオドラマは傑作だったのになぁ~……。
それでは~!
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